笛田エース入団物語 -1
僕が高校球児だった1980年代後半、新時代の歌人・俵万智さんが書いた「サラダ記念日」という歌集がベストセラーになっていた。高校生の僕には何ひとつ共感出来るフレーズは無かったけれど、表題の「『この味がいいね』と君が言ったから7月6日はサラダ記念日」という歌は当時、一世を風靡していた。俵さんがデートで野球を見に行った時、彼からお弁当を「この味いいね」と褒められたところから思い付いたんだそうだ。実際はサラダではなく、「唐揚げ」だったらしいけど。俵万智さんは他にも「野球ゲーム」という本も書いていらっしゃって野球には何かと縁深い方である。
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僕の息子が笛田エースに入ったのは小学2年の終わり、もうすぐ春休みに入る頃だった。
たびたびのお友達のお誘いで体験をさせていただく事になったのだが、あの初日のドキドキの光景は今でも鮮明に覚えている。
当たり前だが、何するか分からないもんで準備運動から覚束ない。それでも終始笑顔でいる息子。みんなと違う服、私服、つまりはとても野球やる人には見えない服を着て、お気に入りの「瞬足」を履き、買ったばかりのグローブを持ってバッティング練習の守備についた。
いま思えば笑えてしまうが、息子が持っていたグローブは、プラスチックバットとセットになったビニール革みたいな小さなグローブだった。「そのグローブで大丈夫?」と心配されながら生まれて初めてついたセカンドの守備。強いゴロは無理だから、打ち損じてコロコロと力なく転がっているボールを懸命に追いかけている。
周りの同級生や先輩はほんとに2年生、3年生?ってくらい上手くて、強い球をバンバン捌いている。それに比べてウチの子はただただ止まりそうなボールを必死に追いかけるだけ。僕の中で言い訳を始めた。他の子はもう絶対天才に決まってる。持って生まれた才能に溢れている子ばかり入団してるに決まってる。お父さんお母さんはプロ野球選手とソフトボール選手に違いない。
青い帽子とグレー色の初めてのチームユニフォームをもらうと、家に帰るやいなやas soon asよりも早い速度でユニフォームに着替えていた。普段はパジャマに着替えるのにさえ片足突っ込んだまま30分は掛かるのに。よほど嬉しかったらしい。
「すぐ成長するから」と大きめのサイズをお借りしたというのもあるのだろうが、にしてもブカブカのダルダルだ。比べるのも失礼だけど大阪桐蔭とか横浜高校の選手とは似ても似つかぬ、もう同じ野球人とは思えぬほどになんだか締まらない。
しかしどうしたことかコレがまた可愛い。
本人はキャップを被って、窓に映る全身の姿を見て至って満足そうだ。サマにならないシャドーピッチなどして、打たれてもいないのにセカンドっぽい動きをして、いっぱしの野球小僧をかましている。チームに入っただけで、ユニフォーム着ただけで大リーガーにでもなったつもりはご愛嬌。
翌日にはチームから指定された大船のスポーツショップ(現在は閉店)でアンダーシャツやストッキングを購入し、その足で藤沢のシラトリスポーツに。さすがに低学年でもビニール革のグローブは通用しないことが分かり、新しいグローブを物色した。
「型落ち」にしても異様に安い2,980円ほどのグローブを発見し、それを手に取って息子の鼻先に寄せる。そう、「北の国から」で新しい靴を純と蛍に買うときに黒板五郎がやったアレだ。
「おおコリャ良いメーカーだ。これがいいんじゃないか?なな、色もカッコいいだろ?」
ホントは値段がカッコいいだけなのだが、人間の器が僕より大きく値段なんか気にしない優しい息子は「そうだね。これがカッコいいね」と聞き分けがよろしい。そのご褒美にスパイクやベルトなどを一切合切を購入して着飾った。余った予算で自分のスパイクなんかも選んだりして久々に野球道具の買い物を楽しんだ。
つづく
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